AKB48【選抜】メンバー

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最新情報♪ 前田敦子写真集『不器用』予約開始!

全編パリで撮影した写真で構成
メトロに乗ったりセーヌ川沿いを歩き
カフェのテラスでお茶を飲む、初めてのアパルトマンでの生活
そして夜のシャンゼリゼ通り散策など、パリを満喫する姿が楽しめる写真集

前田敦子本人が是非20歳の記念に行ってみたいと切望しただけあって
いつもの前田敦子とは違うプライベート感満載
どの顔が素で、どの笑顔がAKB48のあっちゃんなのかーー計算しない、
素敵な『不器用』がいっぱい詰まっていると思います。
圧巻は20歳の素肌を魅せたセクシーショット!!
ついに解禁!



今週の人気アイテム
やっぱり人気だね前田敦子ちゃん♪

AKB48免許証【前田敦子】



AKB48総選挙メンバー【一覧】



前田敦子


【ウィキペディアより】
愛称はブレイク以降「あっちゃん」(中国語圏では発音がそのまま漢字転写され「阿醤」)で定着しているが、「敦子」と呼ばれる場合もある。母親は「敦(あつ)」と呼ぶ。
グループ発足時からの中心メンバーの一人であり[9] 、24thシングル「上からマリコ」以外の全てのシングル表題曲の選抜メンバーに選出されている。さらに大島優子・高橋みなみとともにメディアや雑誌をはじめ多方面からエースの一人として扱われており、2011年6月にはソロ歌手としてもデビューした。「ヘビーローテーション」と「チャンスの順番」を除くほぼ全てのPVや音楽番組でセンターの位置についているが、劇場公演で初めてソロ曲「渚のチェリー」を歌うことになった際には「一人だけ目立つのはイヤ」と号泣したという[31]。第3回選抜総選挙で1位返り咲きを果たした際には、挨拶で「ひとつだけお願いがあります。私のことを嫌いな方もいると思います。私のことは嫌いでも、AKBを嫌いにはならないでください」[32]と涙ながらに発言した[33]。このスピーチはメディアなどでも大きく取り上げられ、作家の内館牧子からは肯定的なコメントが出された[34]が、反対にこの年の総選挙2位だった大島は「なぜそんなに辛く生きるんだろう」「自分は楽観的な人間だからもっと楽しく生きればいいのに、と思った」とテリー伊藤との対談で語っている[35]。
デビュー前、秋元康に今後何をやりたいかと尋ねられた際に「演技がしたい」と答えた。現在の事務所に所属した経緯も関係している[9]。
仲の良いAKB48メンバーは、板野友美や小嶋陽菜、篠田麻里子、大島優子、高橋みなみ、峯岸みなみ、宮澤佐江など。AKB48メンバー以外では、大政絢、北乃きい、谷村美月、南沢奈央[36]、蓮佛美沙子、高畑充希、桐谷美玲、SDN48の佐藤由加理、Perfumeなどと仲が良い。
仲谷明香は中学校の、仲川遥香は高校の同級生で、仲川とは一緒に登校していた[37]。また2011年現在、AKB48シングル曲の選抜曲にも何度か選ばれたNMB48の山本彩を気に入っており、最初に山本の胸を触った際に「全然抵抗もなく笑顔で応えてくれた」という一件以来、山本を一般的な愛称ではなく「オッパイちゃん」と呼んでいる[38]。
毎回コンサート前日には、願掛けとして立ち位置や歌詞などを書いた紙をすべて枕に敷いて寝ている[39]。
「ヘビーローテーション」のPV撮影時には、合間が開くとすぐに寝てしまうため、監督の蜷川実花から「寝てもいいけどカワイく寝て!」と指示を受けた[40]。


大島優子

【ウィキペディアより】
AKB48の中心メンバーの一人であり、2012年2月15日にリリースされた25thシングル「GIVE ME FIVE!」までのじゃんけん選抜を除いた全てのシングル表題曲の選抜メンバーに選出されている。さらに前田敦子・高橋みなみとともにメディアや雑誌をはじめ多方面からエースの一人として扱われている。
キャッチフレーズは「目で負かし、心で伝える、変幻自在のエンターテイナー、大島優子です」。
愛称はすでに同姓の大島麻衣が在籍していた(2009年4月卒業)ということもあり、通常は「ゆうこ」だが、小倉優子と同一名であることから、小倉の愛称「ゆうこりん」に由来する「コリン」[24]、そこから訛って「コリス」(=小栗鼠)とも呼ばれている。現在では、唯一、 篠田麻里子にブログ・ツイッター内で「ゆっぴー」と呼ばれている。
AKB48デビュー当時は栃木県から通っており、夕方にレッスンのために東京に行き、夜間に帰宅するという生活だった。
体育会系で足が速く、運動神経も良い。
2009年10月10日に開催された『AKB48 チーム対抗大運動会〜絆よ永遠に〜』でのスプリンター決定戦で優勝し、NO.1スプリンターに輝いた。
『AKBINGO!』の「ムチャぶりドッジボール」企画では次々にメンバーをアウトにしていくことから「ハンター」[25]の異名を持つ。
Not yet「波乗りかき氷」のPV撮影でサーフィンをした時には、初挑戦だったにもかかわらず10分程度で波に乗れるようになり、「1時間はかかると思っていたのに」と大島自身が驚くほど[26]。
自身のソロ曲である「泣きながら微笑んで」を持ち歌としている。毎回ステージに出る前には、音程を取るため増田有華が手を握り締めながら歌ってくれていた[20]。
お気に入りのAKB48の楽曲は、チームAの「背中から抱きしめて」[27] である。
旧チームKで一緒だった梅田彩佳、松原夏海、野呂佳代らと自主的にダンスグループ「梅島夏代」を組んでいる。
ラジオ『AKB48 今夜は帰らない…』の企画ユニットとして梅田彩佳、戸島花(2008年11月卒業、現・SDN48)と「H3O」(本当に3人は大人なの)を結成した。
劇場公演『チームK 3rd Stage「脳内パラダイス」』の「友よ」では、エレキベースを担当。
その他のAKB48メンバーでは、峯岸みなみや板野友美、前田敦子、篠田麻里子、高橋みなみ、小嶋陽菜、宮澤佐江 [28][29]、秋元才加らと仲が良く、特に現・SDN48の野呂佳代とは旧チームK以来の親友である[30][31]。
「高橋みなみに似ている」と言われることがしばしばある。特に「ポニーテールとシュシュ」がリリースされた時期はメンバー全員がポニーテールで統一していたことが多かったため、高橋のマネージャーまでが当人と間違える、ということがあった[32]。


柏木由紀

【ウィキペディアより】
キャッチフレーズは「寝ても覚めてもゆきりんワールド! 夢中にさせちゃうぞ!」「私のこと好きですか? 好きって言ってくれなきゃ拗ねちゃうもんねっ!」。柏木自身、イタいキャッチフレーズであることを自覚しているが、AKB48は人数が多いので少々のイタさも必要だと思っているのだという[48]。
愛称は主に「ゆきりん」。他に、AKB48の2008年5月4日の公演で、柏木の着用していた服が黒かったことから菊地あやかに「ブラック柏木」と呼ばれ始めた。また、宮澤佐江からは「りんちゃん」、多田愛佳などからは「かしわぎちゃん」、小嶋陽菜や篠田麻里子からは「かしわげちゃん」と呼ばれている。ちなみに小学生時代には、視力が悪くて大きな丸メガネをかけていたことから「メガネザル」と呼ばれており、本人は気に入っていたとのこと[41](現在の視力は1.3[35])。さらに、「必ず1回の握手会で10人ぐらいに『本当にまりもっこりに似てるんですね』って言われる」[44]ということもあり、前述の「ブラック柏木」の件と合わせて「ブラックまりもっこり」とも呼ばれている。
オーディションを受ける前からAKB48のファンで、オーディションの歌唱審査後の面接で普段歌う曲について聞かれた際にも「カラオケに行ったら、AKB48の曲を、同じ曲を全部10回ずつぐらい歌います」と答えた[13]。
「(髪の毛は)黒髪で、盛ったりしない」、「私服でも、ダボダボのつなぎとかは着ない」、「ピアスの穴も開けてい(ない)」などと、理想のアイドル像へのこだわりが強く、前述のイタいキャッチフレーズも、「痛いってわかってるけど、やる。好きな世界を楽しんでいる感じ」と語っている[9]。
「アイドルは常に笑っていないといけない」が口癖で人前では絶対に涙を見せず、倉持明日香から「寝顔も澄まし顔」と評される“アイドル魂”の持ち主である[49]。「私の中にうれしいの涙はないんです。悔しい、悲しいときしか涙腺は響かない」とのこと[16]。チームBキャプテンとしての立場もあるものの、アイドルとキャプテンという対極的な存在に対する「葛藤があり(中略)、表向きにはあまりキャプテンっぽくしないように…みたいなのはあります」とのこと[50]。
握手会に参加することを大事にしている。握手会の日にテレビ番組出演が決まったことがあったが、「握手会に出たいから」と申し出て、出演を辞退したことがあるほど[9]。一人一人ときちんと目を合わせ、しっかり手を握ることから「握手会の女王」と評され、これが2011年選抜総選挙での大躍進に繋がったとされる[3]。
秋元康からは「やさしくていねいな仕事ぶりで確実に安心できるメンバー」[51]、「奇をてらったことを言わず、やることをきっちりとやって、丁寧に丁寧にファンを拡大してきた、誠実な政治家のような子」[52]と、その誠実さと丁寧さを評価されている。その一方、「余りにもみんなに気を遣い過ぎて、時々目が泳いでます」と指摘されている[13]。
リアクションが大きいことから『AKBINGO!』では「リアクション女王」と呼ばれている。
『週刊AKB』にて結成された「AKB激辛部」の部長を務めるが、実は辛いものはあまり好きではない[53]。
AKB48メンバーでもっとも仲が良いのは片山陽加、宮澤佐江[45]。渡辺麻友、仁藤萌乃、仲谷明香、田名部生来、峯岸みなみ[54]、指原莉乃、北原里英らとも仲が良く、渡辺に限らず渡り廊下走り隊のメンバーとは総じて仲が良い。
宮澤佐江とは、AKB歌劇団で共演して以降仲良くなり、あまりに仲が良すぎるためレズ疑惑がある[45]。
片山陽加、仲谷明香と「チーム控えめ」、片山、仲谷、田名部生来と「キューテェーちーむ」を結成している。
姉妹グループでは、SKE48の松井玲奈[55]、NMB48の渡辺美優紀と仲が良い[56]。
当時、まだチームBとして劇場デビューをしていないにもかかわらず、『AKB48 春のちょっとだけ全国ツアー 〜まだまだだぜAKB48!〜』(2007年3月10日 – 4月1日)に大島優子の代役として、秋元才加の代役を務めた井上奈瑠(2008年9月卒業)とともに出演した。この大抜擢の理由についてAKB48劇場支配人である戸賀崎智信は、「(チーム)Bのなかで目立っていたし、ダンスができたからです」と語っている。またこの件について戸賀崎は、「それがアンダーの起源ですね」とも語っている[57]。
『チームB 5th Stage「シアターの女神」』公演ではソロユニット「夜風の仕業」を担当。旧チームBメンバーでは初の、AKB48全体でも大島優子、秋元才加に続く3人目のソロユニット担当となった。
チームBメンバーが選ぶ、チームBの「ダンス王」に選ばれた[58]。
SKE48の「アイドル研究会」に所属している。会員番号は5番。
AKB48に入る前の中学生時代、AKB48が出演していたラジオ番組のプレゼントに初めて応募し、当時のメンバー全員のサイン入り「スカート、ひらり」のポスターが当選したことがある[59]。
Google検索で、AKB48メンバー中、2011年上半期に最も検索ボリュームが増加したランキング1位となった[60]。
『AKBINGO!』の「ラッキーガールランキング2012」の企画で、AKB48・SKE48・NMB48・HKT48の正規メンバー総勢140人のうち、「2012年最も運勢の悪いメンバー」に選ばれた[61]。


篠田麻里子

【ウィキペディアより】
AKB48のメンバーからは「お姉さんキャラ」との認識が浸透している。普段からメンバーの誕生会を主催するなど面倒見がよく[13]、後輩の北原里英、高城亜樹、佐藤すみれなどからは慕われ(いわゆる「推しメン」)、尊敬されている。
基本的にマイペースな性格なので一人でいるのも好きだと述べている[14]。
当初、AKB48のプロフィール上では身長165cmだったが、のちに168cmになった。現行のAKB48メンバーの中では鈴木紫帆里(171cm)に次ぐ2番目の長身である。
愛称は、「まりこ様」・「しのまり」など。公式サイトのプロフィールでは「麻里子さん」。『うまプロ!』出演時には、他出演者からは「シーマリ」と呼ばれている。中国語圏では、“様”付けされている唯一のメンバーであることから「女王」。


渡辺麻友

【ウィキペディアより】
キャッチフレーズは、「み〜んなの目線を、いただきまゆゆ」。一般的な愛称は「まゆゆ」。名付け親は米沢瑠美[28]。後輩からは「麻友さん」「まゆゆさん」と呼ばれることが多い。
パッチリとした両眼[29]、また『AKBINGO!』が始まった当初は何も喋らずただ座っていた(プロデューサー・毛利忍談)[30]ことなどから「渡辺麻友はCGだ」「2.5次元」と言われたことがある。本人もこのことを何度かネタにしており、第2回選抜総選挙のポスターには「起こしてみせます! CGレボリューション!!」というキャッチコピーが使われた。
ほとんどの場合、前髪は整髪料で固めており、絶対に上げることがない。AKB48に加入してから額を出したのは2度のみ。ライブの間のMCでも前髪を気にする姿が頻繁に見られる。
来歴記載の通り、AKB48が大好きでオーディションを受けたほどで、人生で初めて購入したCDも、のちに自身のオーディションで歌った「桜の花びらたち」[9]。
AKB48メンバーでは柏木や指原莉乃などと仲が良く、多田愛佳、田名部生来、仲谷明香と「ヲタ4」を結成している。また、男装喫茶が好きで、平嶋と一緒に出掛ける仲[31]。
大島優子とは、互いのお尻が気に入って意気投合して以来「おしりシスターズ」を名乗っている[32]。渡辺は大島を「おしりこちゃん」[33]、大島は渡辺を「しりり」[34]と呼んでいる。


小嶋陽菜

【ウィキペディアより】
オーディションに応募した理由について、応募方法が携帯電話で自分の写真を撮影後メールに添付・送信するだけだったため、「応募の看板を見た時に、たまたま写メがかわいく撮れたから送っちゃった」[14]と語っている。
AKB48メンバーで唯一、シングルの全表題曲に選抜入りしている。
ノースリーブスでは「マイペース担当」となっている。


高橋みなみ

【ウィキペディアより】
AKB48の主力メンバーの一人。チームAキャプテンとしての責任のみならず、AKB48のイベント、記者会見等においてグループ全体を代表して挨拶やコメントをする場合は大抵において高橋がその役目を負うということもあり、メディアや雑誌をはじめ、多方面からAKB48全体のリーダーとされている[21][30]。イベントにおける運営担当者との打ち合わせや、時にはイベント用のロゴデザインなどもメンバーを代表して行う[31]。秋元康も「高橋はAKB48の顔」[32]「AKB48とは高橋みなみの事である」[21]と公言しており、本人との対談でも「いい子だから」AKB48メンバー内で唯一「説教した事(が)ない」、「たかみなを嫌いって言う人はいないからね、スタッフでも」、「48人姉妹の長女」と発言するほど全幅の信頼を置いており[12]、高橋自身も、AKB48を「ファミリー」と考えている。このキャラクターはAKB48で鍛えられたものであり、元々「AKB入る前とかは全然ぐうたら」で「どっちかというと不真面目」だったため[31]、グループ発足当初は、秋元や本人が認めるように、「リーダーシップを取るようなタイプではなかった」[12]。折井あゆみが卒業して公演前の円陣の掛け声をする者がいなくなり、駒谷仁美から[33]、「『どうするか〜』ってなった時に、『じゃたかみなやってみなよ』って言われた」ことから、「『誰も引っ張る人がいないんならやってみたいな』っていう気持ちになって」、それ以降リーダーシップを取るようになったという[21]。
AKB48のオーディションを知ったきっかけは、先述のホリプロタレントスカウトキャラバンの第2次審査の際に外に待ち構えていた、審査に同行していた高橋の母親が排除しようとしたほど「めちゃめちゃ怪しかった」スカウトマンが持っていた、秋元康の顔写真が載ったモノクロの募集チラシ。オーディションを受けた当時は秋元康によれば「茶髪のヤンキー風」で、本人曰く「やさぐれていた」。清人曰く「大家族のお母さん」。最終審査の質疑応答で、秋葉原を「あきばはら」とずっと発言していたのを審査員に正されたため、審査に落ちたものと思っていたが合格者24名に入る[12]。
一般的な愛称は元チームAの大島麻衣が名付けた[34]「たかみな」。篠田麻里子はほぼ一貫して「みなみ」と呼んでいる。秋元才加の父親は髪型からパイナップルと呼んでいるという[35]。家族からは「みぃちゃん」と呼ばれている[36]。 
性格は感受性豊かで涙もろく[37]、イベントやテレビ番組などでしばしば涙を流す[38][39]だけでなく、日常生活でも、自身の19歳の誕生日に秋元康からメールをもらい、それを一人で読みながら駅で泣いていた[12]。一方、意識して笑うことは苦手[40]。
「生きてる感じがする」という理由で、大会場でのコンサートより劇場公演の方が好き[12]。
東京出身だが、発言で関西弁が出ることがある。理由は不明。
元々「運動神経ゼロでスキップもできない」ほどだったこともあって、加入当初は最もダンスが下手な方で、練習では「いつも居残り」[3]、『チームA 1st Stage「PARTYが始まるよ」』の振り入れの際には、夏まゆみから「できないコ(高橋)がいるから(振り付けを)変えましょう」と言われ、振り付けが簡単になったほどだった[41]。その後は克服しメンバー内で最も新曲の振り付けを覚えるのが早く、半日もあればマスターする[42]。
AKB48内では、自他共に認める「スベりキャラ」[14]。『AKB0じ59ふん!』では「みなみ高橋のすべらない話」と題し、高橋が面白いと思っている話を披露したが周囲にまったくウケず、「すべる話」のレッテルを貼られた。さらに同番組の体力測定企画で競馬の出走に見立てた際には「リトルスベリオー」という出走名が付与され、『AKBINGO!』での相撲対決では「朝滑龍(あさすべりゅう)」という四股名を付けられた。『週刊AKB』のDVD (Vol.7 – Vol.9) には、特典映像として「みなみ高橋のすべる話」が収録された。[43] 宮澤佐江によると「面白い話があるんですよ」、「めちゃくちゃ面白いです」など、話の前に自らハードルを上げたり(この点は佐田正樹にも指摘された)、話の途中で自分が先に笑い出したりして聞き取りにくくなり、結果スベる傾向にある[44]。また、自虐ネタを出す場合もある。
峯岸が通学していた中学校の卒業式に立ち会ったり[45]、秋元のチームKキャプテン辞任発言が報じられた『AKB48のオールナイトニッポン』の生放送中には、ニッポン放送に駆け付けたりしている。
以前から、実年齢より年上に見られることが悩み[46]。またスポーツ新聞を読むなど言動が「オヤジ」傾向にある[47]。篠田麻里子はAKB48メンバーと一緒に入浴していないこと、朝は誰よりも早く起き、しかも化粧して待機していることなどを挙げ、「男疑惑がある」とまでコメントした[48]。それ以降も度々バラエティ番組や公演のMC、果ては『AKB48のオールナイトニッポン』のリスナーにまでネタにされている[49]。なおメンバーとの入浴については、「裸(ら)を何で晒し合わねばならんのか」と思っており、「迷惑」「本当に入りたくない」と語っている[46]。
自身が19歳になってから、「『会いたかった』を歌う時のテンションがきつい」と悩んでおり[40]、また20歳を迎えてからは、AKB48全体の「高齢化」を気にしている[50]。
3歳の時に自宅で父親に「大きくなったら何になりたいですか?」と問われた際、「食べ物に、キャベツに」と答えていた様子を父親がホームビデオに撮影していたが、それから16年後、カゴメ『野菜一日これ一本』のCMタイアップで「野菜シスターズ」が結成され、参加した25人のメンバーが異なる野菜の着ぐるみを着ることとなった際、奇しくも高橋はキャベツ役となり、偶然ながら3歳当時の夢が実現したことになる[2]。
2011年3月時点、研究生を含めたAKB48全メンバー内で最も身長が低い。以前は、2010年3月に研究生となった市川美織の公称が148 cmで、高橋より0.5 cm低かったが、2011年3月24日に『マジすか学園2』の撮影現場で比較したところ、市川が「1.5 (cm) ぐらい[51]」身長を上回った[52]。


板野友美

【ウィキペディアより】
AKB48初期メンバーの一人であり、デビューシングル「桜の花びらたち」から18thシングル「Beginner」までの全てのシングル表題曲に参加した中心的な存在で、主力メンバーの一人といえる。
秋元康によると、当初AKB48では茶髪を禁止していたにもかかわらず、「高校1年ぐらいから茶髪になった」際に「板野だけはいい」と許可した。また、秋元は「どう考えても見た目はイッちゃってる感じ」のため「チャラいんじゃないの? って見えるんだけど実はすごく努力家」と評している[24]。
AKB48としての活動とは別に、ギャルに扮した「ギャルちん a.k.a板野友美」というキャラクターもあり、同名義で作詞した「Shiny Summer〜友の夏〜」をソロでリリースしている。『Cawaii!』など女性誌の専属モデルとしても活動しているほか、女性誌のインタビューや取材も多い[25]。2009年12月には渋谷109にテナントを出店しているRuvap.(ラヴァップ)とのコラボレーション・パーカーも発売された。これらのことから、「AKBのお洒落番長」とも呼ばれている[26]。
初期のキャッチフレーズは「お耳がぴょんぴょん 元気なバンビ」だったが、2011年現在ではキャッチフレーズにとらわれたくないという理由でなくしている[27][28]。


指原莉乃

【ウィキペディアより】
愛称は、主に「さっしー」や柏木由紀が付けた「さしこ」。倉持明日香からは「ぴーや」と呼ばれることもある。同期の北原里英や仁藤萌乃は指原の「指」から「ゆっびー」や「ゆびちゃん」と呼ぶことがある。また、昇格当初には緑色が好きだったことから平嶋夏海に「みどりーの」と名付けられ愛称の候補に挙げられていたが、これは使用していない[47]。
選抜曲の振り等はDVD等を見て覚えている。ただそのままでは左右反転して覚えてしまうため、振りは絵に描き起こし、それを見て覚え、立ち位置等はプリントアウトした歌詞に細かく書いて覚えるなど、徹底している[48]。
「RIVER」や「ポニーテールとシュシュ」等は全ポジションをこなせ(アンダーガールズ時代での数少ないチャンスをものにするため)、他の曲の直前の代役でもきちんと覚え、対応するなどの努力家である[49]。また高橋みなみらメンバーも「普段はテキトーだけど、実はとても努力家」「真面目」と評している[50]。
第一回選抜総選挙で選抜落ちし、またテレビ番組のある企画にうまく乗ることができず、しばらくの間テレビ番組への出演機会が減ったことがある。その後、2010年4月頃から始めたブログが話題を呼び注目され、従来以上に雑誌、テレビの出演機会が増えた。そうした影響、そして前述の努力の甲斐もあってか第二回選抜総選挙で選抜入りを果たすも、「ヘビーローテーション」のPVでは2.5秒ほど、他のPVでもなかなか映る機会に恵まれなかった。しかしAKB48での活動だけでなく、ブログやテレビ番組などでの活動の影響もあり第三回選抜総選挙では9位まで順位を上げることになる。このことに対し秋元康は「すごいし、驚いた」と語っている[51]。そういった経緯から秋元康から「5分のPVで2.5秒しか映らず、しかしそこから這い上がってきた人物」として紹介されている[52]。
戸賀崎智信が握手会の評判の高いメンバーの一人として名前を挙げている[53]。
AKB48に入った際は、仲の良かった友人には話してから上京した(AKB48に入ることは告げてはいない)[54]。それから2年半、『週刊プレイボーイ』の撮影で訪れるまで一度も大分に帰らなかった[55]。
『AKB48 チームB 4th Stage「アイドルの夜明け」』公演の自己紹介でのキャッチフレーズは「私の性格って、白いですか? それとも黒いですか? 私の性格は限りなく白に近い灰色。大分県出身、指原莉乃です」。『AKB48 チームA 6th Stage「目撃者」』公演では「勢いだけはある女 あなたの心の指原クオリティー 覚醒! 大分県出身 指原莉乃です!」。2011年10月26日の夜公演から「さしこのクセにがいつのまにかクセになる〜!! 大分県出身 指原莉乃です」[56]。
AKB48公式サイトでは身長159 cmと掲載されているが、実際の身長は157 cm。「159 cm」は、スタッフに軽いノリで聞かれ、まさか公式プロフィールに掲載されるとは思わず、ノリで答えた数字が掲載されたからだと明かした[57]。なお、「身長159 cm」はこの発言以降のプロフィールでも使い続けられている[58]。
鼻と口の間に手を置く癖があり、浦野一美(現・SDN48)や小林香菜に「指鼻(さしはな)」と注意されていた。また、下唇を噛む(へっこませる)癖もある[30]。
体力モノ・恐怖体験モノの企画が苦手で、すぐに臆病風を吹かしてしまうことから、メンバーや共演者から「へたれ指原」と言われたことがあった。それ以降、アイドルオタクのイメージから、へたれのイメージへと変化し、「へたれクイーン」とまで言われている[58]。『週刊AKB』の企画では、二度のチャンスを与えられたものの、バンジージャンプを飛ぶことができず[59]、AKB48メンバーがほぼ準レギュラー出演する『密室謎解きバラエティー 脱出ゲームDERO!』では「棒の間」ステージにおいて、本人曰く「踏み出す勇気が出なかった」ため、動く床の段階で腰が引けてしまい、「命の棒」に乗ることもなく出題前に自ら穴に落ちる[60]など、いわゆるAKB48きっての「イジられキャラ」。峯岸みなみによると、高橋みなみに唯一イジられるキャラで[61]、また年下の後輩からもイジられる[24]。
先述のファッションセンスのなさから、『AKBINGO!』の私服ファッションショーでは植松晃士に「おブスファッション」と評された[62]。
大分市立王子中学校卒業[63]。小野晴香 (SKE48) は先輩にあたり、兄の同級生[64]。また、同校の同級生に矢方美紀(SKE48・チームKII)がいる。
大家志津香(福岡県出身)、北原里英(愛知県出身)、元研究生の冨田麻友(香川県出身)・中西優香(現・SKE48、愛知県出身)とは、上京してから約1か月間共に生活した間柄で[65]、指原を含めたこの5人、特に2011年現在も芸能活動を行う冨田以外の4人を「旧地方組」[66]、自身、大家、北原に、小森美果(愛知県出身)、横山由依(京都府出身)を加えた5人を「地方組」としている[67]。
北原里英とは同期でデビュー日も近く、他のメンバーが時折間違えるほど顔も似ていると言われ、初期の頃はレッスンでペアにされていた。事務所もともに太田プロで担当マネージャーも同じ。とても仲がよく、お互いに一番仲が良いメンバーと公言している。互いの自宅に泊まったり、ブログに度々登場したりすることから「りのりえはガチ」という言葉があるほど[68]。同じく同期の仁藤萌乃も含め「同期の中でも本当に特に仲のいいメンバー3人」だったが、チームシャッフル後は3人がそれぞれ別のチームになったため、特に仁藤萌乃とは会う機会が減った[31]。小森美果とも「仲のいい姉妹」[24]、「週4ぐらいで遊んでます」と言うほどの仲[69]。また前田亜美からは「頼れるママ」と慕われており、指原も可愛がっている。
その他仲の良いメンバーは、多田愛佳、大家志津香、柏木由紀、渡辺麻友など。先輩メンバーでは前田敦子、峯岸みなみなど。
指原・北原・峯岸・高橋の4人で下北沢へ買い物に行く機会があり、「下北組」と称してる[70]。
AKB48加入前から佐藤由加理(元・旧チームA、現・SDN48)が「推しメン」[24]で、彼女のDVDや写真集も所持している[71]。また、多田愛佳を溺愛しているがゆえに、抱きつき離さない、キスをしようとするなどの行為をする。これらの行為は「サシハラスメント」と呼ばれる[72]。
尊敬するメンバーは大島優子と峯岸みなみ[73]。中でも前田敦子は超リスペクトしている[74]。
ブログのタイトル「指原クオリティー」を名付けたのは柏木由紀である[75]。同ブログでも度々使用し、『有吉AKB共和国』「指原PRIDE」オープニングで着用しているTシャツにも記載している「どーん」は、尾田栄一郎の漫画『ONE PIECE』の効果音文字に由来する[76]。時折、同ブログで「さしこ杯」という企画を開催している。審査員は指原本人で、テーマを決め、いかに面白いかを競う企画。ただ、指原本人はあまりのコメントの多さに、毎回読むのに一苦労している[77]。
「34」(さっしー)が指原の番号であり、トレードマークになっている。「指原クオリティー」Tシャツ(グッズ)でも背番号「SASHIHARA・34」となっている。
AKB48のセンターを狙うという野望があるが、秋元康に「将来は放送作家の道に進むことを勧めている」「センターに立つアイドルに多弁な者はいない」とダメ出しされた[78][79]。
倉持明日香と柏木由紀のものまねが得意[80]。


松井玲奈

【ウィキペディアより】
SKE48中心メンバーの一人であり、松井珠理奈とともにSKE48のエースとされる。AKB48の11thシングル「10年桜」で初選抜となり、その後も選出されている。SKE48のメンバーの中では珠理奈とともにAKB48のメンバーとともに活動することが多い。
主な愛称は「れな」。平松可奈子からは「れなれな」[15]、平田璃香子からは「れなたま」[16] などと呼ばれることもある。
SKE48 2nd stageまで使用していたキャッチフレーズは「12時まで魔法は解けない、ガラスの靴は脱ぎません、シンデレライヤー」と「笑顔のトレジャーハンター」。3rd stageからは、「笑顔は収穫し尽くした」という理由で、新しく「SKEのかすみ草」というキャッチフレーズを使用している。プラスして「レッツちゅーん、ゲッちゅーん、フォーちゅーん」を先に加えるバージョン有り。
名字が同じ松井珠理奈とともに、「W松井」および名前のイニシャルをとって「JRコンビ」と呼ばれることもある。
SDN48・戸島花の大ファン。戸島も松井を推している。
AKB48のメンバーでは高城亜樹[17]・指原莉乃[18]・北原里英[19]や同じ二次元&Sound Horizon好きの渡辺麻友[18]、メロンパン同盟を締結した島崎遥香等と仲が良い。
指原とはアンダーガールズ時代の『飛べないアゲハチョウ』で、指原と松井が向かい合う振付の際に、指原が松井に毎回ウインクをしており、人見知りな性格であり当時は松井が殻に閉じこもっておりAKB48のメンバーとあまり会話することがなく溶け込めなかったため、指原は「ウインクをしたら笑ってくれるんじゃないかと思った」という。当時は指原にウインクのことを聞けなかったが、後にあのウインクが松井のことを思っての行動だったと知り、その後はAKB48のメンバーに少しずつ溶け込む事ができたというエピソードがある[20]。
NMB48研究生・小柳有沙の推しメンである。
以前はAKB48公式ホームページを毎日チェックしており、そこでSKE48オーディションについて知り応募した[12]。
「SKE48二次元同好会」の会員番号3番。2011年3月3日に副会長に任命される。
非常におっとりとした性格である一方で、強靭な精神力の持ち主でもある。2009年8月14日放送分の『週刊AKB』において、桜金造の怪談話中に仕掛けられたドッキリで、ほとんどの出演メンバーがパニック状態に陥る中でも、全く取り乱すことはなかった。
武藤敬司のプロレスLOVEをキレの良いポーズで披露するなど、お茶目な一面も見られる。
先述の通り辛い物好きであるが、『AKBINGO!』「ザ・AKBEST10」[21]で、その場でピザに大量のタバスコをかけ美味しそうに食べたのがテレビ番組での初出。その際、MCの峯岸みなみが、「今日の朝食べたカレーライスは50倍の辛さ」と説明した。その後、『週刊AKB』同年11月27日放送分「AKB激辛部」において、他の三人のメンバーが口に入れただけで悶絶するような激辛ハバネロチキンを一気に完食した。松井自身は肉類が苦手であるのは前記したが、店員に「完食できる方が120〜130人に1人位」のところを「(あの速さで食べるのは)いない」「完敗です」と言わしめるほどで、その辛さへの圧倒的強さから激辛部エースの称号を手にする。2009年10月2日放送分では、自ら部長となって「SKE激辛部」を率いた。ちなみにドラマ『マジすか学園』における彼女の役名も「ゲキカラ」だった。なお、辛さが強くなると体が反応ししゃっくりが出るとのこと[22]。
『週刊AKB』の第一回中間テストでは秋元才加と同点で20人中2位タイ(280/300点)[23]、同番組の期末テストでは18人中3位(260/300点)を記録し、「会いたかった」の一部歌詞の英文を日本語に翻訳する問題では唯一正解した[24]。その一方で『イッテ恋48』の「『実はおバカなんじゃね』というメンバー」を投票するコーナーにおいて、「左右が分からない」ということを他のメンバーに暴露されている[25]。
SKE48の楽曲で最も好きなのは「手紙のこと」、AKB48の楽曲で最も好きなのは「竹内先輩」[12]。


宮澤佐江

【ウィキペディアより】
第1回オーディションにおいて不合格、第2回でも一旦戸賀崎智信により書類審査で落とされる寸前であったところを、戸賀崎が思い直したことにより書類審査を通過、合格した[20]。
チームKの主力メンバーの一人であり、加入以後じゃんけん選抜を除く全シングルで選抜入りをしている。
秋元才加とはチームK創設時からの同期であり、所属事務所も同じ。メンバー内でも身長が高い二人を合わせて、チームKの「ツインタワー」という愛称で呼ばれ、『Chocolove from AKB48』での活動や『正しい王子のつくり方』での共演、新ユニット『DiVA』など、秋元と行動を共にすることが多い。『AKB48ネ申テレビ』では秋元のことを「永遠の相方」とも語っている[21] 。
大島優子も同期であり、お互いを『心友』と呼び、地方での仕事の際に宿泊するホテルは同じ部屋であることが多かったり、プライベートでも仲が良い[22][23] 。
柏木由紀とは『AKB歌劇団』で共演し仲良くなり「さえゆき」コンビと呼んで、カップルのように振舞っているために周りのメンバー(主に指原莉乃、峯岸みなみ)からネタにされている。
その他、小林香菜、仁藤萌乃、河西智美、増田有華、峯岸みなみ、前田敦子、高城亜樹、倉持明日香、松井珠理奈などとも仲が良い。
憧れのメンバーは篠田麻里子[24] 。
メンバーからは後輩も含め「佐江ちゃん」と呼ばれている。そのほかの愛称は、主に「さえたむ」「さえぽ」。柏木や倉持などからは「ぽっちゃん」と呼ばれている。
私服について、メンバーからの評判は悪くないものの、ファッション関係者からは酷評されがちである。
映画『高校デビュー』の公式モバイルサイト(レコチョク)で、恋愛メールを宮澤が添削する企画[25]や、『宮澤佐江モテメール指南塾』という企画が設定された[26]。
『NHK紅白歌合戦』をはじめ、『ポップジャム』、『MUSIC JAPAN』など、AKB48が出演するNHKの音楽番組には、23rdシングル「風は吹いている」までメンバーで唯一初登場から連続出演していた。『19thシングル選抜じゃんけん大会』では敗退したため、それまで同じく連続出演していた高橋みなみ、板野友美らと同様に、19thシングル「チャンスの順番」で連続出演が途切れるところだったが、当時『Q10』の収録日程の関係で出演が困難だった前田の代理で出演している。
AKB48初代「イケメンガール」。男役として挑んだ『AKB歌劇団』での村雨ルカ役、『マジすか学園』での学ラン役でそのイメージを定着させ、2011年4月に配信された『男装電子写真集』がダウンロード数1位を獲得した。メンバーから「イケメン」「男」、河西智美、佐藤亜美菜には「王子様」等と呼ばれる。
その他、「佐江ちゃんを好きになるのは皆が一度は通る道」(劇場公演で仁藤萌乃と竹内美宥が発言)、「佐江ちゃんはホントにメンバーにモテる」、「(松井)珠理奈が『カッコいい』とずっと言ってた」、「(宮澤と松井珠理奈が)練習しているところを北原里英が恋する乙女のまなざしで見ていた」、「倉持明日香が一緒にいたい為だけに寝れないと言って部屋に行った」[27]、米沢瑠美からは「みんなの彼氏」と称されるなど、メンバーの人気者でもある。
『新堂本兄弟』[28]に出演した際、リハーサル中に宮澤を見た堂本光一は、宮澤をジャニーズJr.の一員と勘違いした。
『AKBINGO!』の企画「DANSO甲子園」でバーテンダーに扮した際、格好良さに倉持明日香が号泣し、優勝。髪をオールバックにしてライダースに扮した際には、河西智美、多田愛佳、板野友美から高評価を受け、準優勝した。
面倒見が良く、『AKB48ネ申テレビ』では倉持明日香が「体調不良や悩み事があるメンバー、不安そうにしているメンバーに気づくのが誰よりも早い」と語っている[29]。研究生メンバーやSKE48、NMB48の後輩メンバー内では、最も人気のある先輩メンバーとしてよく名前が挙がる。


高城亜樹

【ウィキペディアより】
キャッチフレーズは、「緑茶、麦茶、ウーロン茶、でもやっぱり〜あきちゃ」(茶と「ちゃ」の韻踏み)。メンバーからは「あきちゃ」、後輩メンバーからは「あきちゃさん」と呼ばれているが、倉持明日香からは「おたまる」と呼ばれている。
AKB48の中で尊敬するメンバーは、高橋みなみ、篠田麻里子、大島優子[19]。AKB48の中で一番好きな楽曲は、自身も参加している「君のことが好きだから」[20]。 AKB48の「赤十字オフィシャルメッセンジャー」受任に伴い、赤十字救急法救急員養成基礎講習を修了(2011年5月。他に受講したのは板野友美、高橋みなみ、峯岸みなみ、渡辺麻友)[21]。
AKB48メンバーが参加しているソーシャルネットワークサービスgoogle+では、他のメンバーの書き込んだ内容に頻繁にコメントを残していたことから、北原里英が2011年12月12日に「コメントマスターあきちゃ」と呼びかけたところ[22]、本人も気に入り[23]、その後、松井咲子がGoogle+において高城を「コメントマスター」の略称「コメマス」と呼んで以降[24]、Google+上で高城=コメマスという略称が普及、ついには本人もGoogle+上では自らを「コメマス」と呼ぶようになっている[25]。




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